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あまさかる一寸猛進

ぼやける場所が無くなってきたので、こんな所で好き勝手書く事にしました。ごめんなさい。

体罰のラジオ番組

 ラジオ生活が続いているので、映像に関する事は全く分かりませんが、別にそれで困る事はありません。芸能人の顔は分かりませんが、逆に余計な情報に脳力を使う事が回避できるのは良い事なのではないかとさえ思ってしまいます。

 事件になっている、部活での体罰について中学生が議論する番組でした。なるほど中学生なりの視点を持って事件を見ている中学生もいるのだなぁ、と思いました。番組の中では、条件付き肯定となってしまう子どもたちに対して、進行役のオトナが完全否定をする形でまとめてました。

 その後、つらつらと考えたのですが、そもそも罰って必要なのかな?とか。

 罰の効果としては、対象児が罰を回避するために行動が矯正されるということですよね。学園漫画でよく使われたシーンに、《宿題を忘れて廊下に立たせる》というモノがあります。私も実際に拳固や平手打ちを喰らいながら学校へ行っていたわけですが、こういうのって、本来の目的は対象児の行動修正にあるんですよね。でも親や教師の感情のはけ口として使われてないでしょうかね?

 まぁ、それはトモカク、「しつけ」と称してDVしちゃう親も多いと聞きますし、暴力的な言葉や行為と教育については、よく考えた方がよいかと思います。

 「あの時に叩いてもらって良かったよ。」と言われた事もあります。でも、そういう事を口にするヒトは、「教育の効果はすぐに出ない。大きくなって振り返って感謝されればいい。」とか続けて言うのですが、違和感を感じます。その一年を任されているんだから、その年の責任を持つべきではないかしら?揚げ足をとるようですが、一体何人位が大きくなって感謝するのかな?何人かはいるでしょう。でも、それがきっかけで学校不信や情緒不安になったりする子だっているでしょうね。

 目的は行動修正なのだから、色々手段があるはず。そもそも問題となる行動は分析されているのだろうか?表面的な部分で叱って、しかも罰を与えているなら、指導者の力量不足というか認識不足というか・・・。

 ヒトとヒトは日々色々な形でぶつかっているわけで、それ自体が学びだと思いますが、教え方を色々試行した結果、最後は感情のぶつかり合いって事だってあると思う。そういう時に親なり教師なりが・・・というなら。自分だってやってしまいそうだ。「ならぬものはなりませぬ」で通じるのが一番良いのだけれど。